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2016年6月9日木曜日

無理に行くことはない。義務教育の小学校や中学校ですらそんな時代か








昔から言われていることであるが、学校で勉強することは必ずしも社会で役に立つものではない。しかし、好きな勉強も嫌いな勉強も、自分が好きなことも嫌いなことも、学校で経験し培っていく経験は必要であると考えるのが常識。ただ、常識というものはあるようでないもの、これもよく言われている。

インターネットで勉強したり、勉強アプリが開発されたり、最近は学校でなくても上質の勉強ができる場所は増えている。学歴なんて関係ないと言われていはいるものの、実際子どもの社会に入ってみると勉強のしがらみがあるようだ。子どもが安定のために好きなものより勉強をとる、そう口にする時は大きなものを失っていると感じる。その子どもにとって、生きがいや成長になるものを安定という言葉で奪われている。

社会を見てみると、安定はあるようでない。逆に、勉強をしてこなかった人でも職に就いて働き続けている人はたくさんいる。将来が見えていない子どもたちに、安定というシガラミで縛って欲しくない。

勉強や努力は大切であるし、コミュニティの中での自分のあり方を学ばなければならないことには変わりない。でも社会は変化しつづけていて成長や発展を続けている。グローバルな社会に置いて行かれている学校教育で学ぶこととは、今なんだろう。コミュニティも学校以外にだってある。




変わり続けている社会の中で、いくつかの価値観は変わり続けている。変わることは成長すること。ただし、大切なこと本質は不変だ。