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2016年1月28日木曜日

審判のジャッジで負ける要因となってもいい。でも立場を勘違いして選手を傷つける審判は大嫌い





ミスジャッジへの不服。中学生の選手が退場


イエローカード2枚、1枚目は妥当の内容と言えるが2枚目は審判のミスジャッジへの一言だった。選手が発した言葉は「マイボールじゃん」だった。しつこく言っていた様子はない。自分のポジションに着きながら、捨て台詞のように言ってしまったのだろうか。

この当事者となった選手が学ぶべきことは、審判としっかりとしたコミュニケーションをとること。要求することは間違っていない。納得がいかない判定があったときに、コミュニケーションをとることが重要。それを行うためには納得がいかなくても激しく感情的にならない、話ができる人にならないといけない。選手とはそういう話をした。


審判をリスペクトする。審判は選手をリスペクトする


審判とも話した。あれはコーナーだったよ。まず自分がちゃんとやれよ。私は感情を出した。

それくらい、その選手は頑張っていた。その選手は審判に対して良い言葉を使わなかったかもしれないが、二枚目のイエローカードを出すほどとは思えなかった。そして、元々は彼のミスジャッジが原因だ。

審判から返ってきた言葉は「何が言いたいの」だった。

きっと僕のことを上からみるようにしていた。余裕を持つようにしていた。

「選手にもしっかり話すけど」と僕は審判に伝えたところ、そこだけ彼は「そうだよね」と応答した。しっかりと子どもを指導するように、そういうニュアンスだった。しかし、僕は彼から言われる意味が理解できない。自分に否はないという断固たる姿勢の人に、言われる言葉ではない。


審判に対する尊敬心


真剣だからこそ意見を言い、要求する。それに対して審判も反論する。この試合を一緒に行っている尊敬心から討論はうまれるものじゃないだろうか。真剣だからこそ意見する。意見はしていけないものではない。

審判が絶対だ、監督が絶対だ、そんな哲学で選手を抑えつけてしまってはいけない。感情を出すことを選手はやめるしかなくなる。感情をうまく表わせなかったり感情に対する耐性がなくなり、感情でプレーできない選手に育ってしまう。

審判はとても難しい立場にある。理解できる、でも上から見下ろす人は嫌い