2015年9月4日金曜日

仲間を尊重できる器の大きさが重要なコミュニケーションを可能とする



ついこの間も、「佐々木さん、コミュニケーションで一番大切なものってなんだと思われますか?」と質問を受けまして。おそらく「テクニック」という答えを期待していたんだと思うんですが、僕が「愛です。どれだけ相手のことを考えられるか、に尽きます」と言ったら、「あ、愛?」と。彼が用意してきた質問が全滅になったみたいで、慌てておられました(笑)。「佐々木さん、コミュニケーションで
一番大切なものって、何だと思われますか?」【佐々木圭一×森川亮】(後編

コミュニケーションに奪われる時間


コミュニケーションの大切さは、どこでも言われること。話をして仲間を理解する、話をして自分を理解してもらう。練習でコミュニケーションに多くの時間を費やし、理解し合おうとしているチームをいくつか観てきている。


横の関係の中で当事者同士で解決しあう能力


そのコミュニケーションで本当に相互の理解を深められているの?そう思うことが多い。お互いが伝えあい、結局相互の妥協点は第3者が見つけていないだろうか。フットサルと同じでコミュニケーションも、一人一人が意思を持ち、そこから2人の関係を成熟させていき、第3者が恩恵を受ける。


「言い合いになってもいい、それくらい話そうよ。」


その言葉が自分の主張をさらに高める。理解し合おうとなどしておらず、自分の意見を仲間に強要しているように観えることがある。言い合いになっても良いのはそこに仲間を認める心があれば…、ということになるだろう。仲間の意思を自分とは違っても受け入れること。それに賛同する必要はないが、受け入れて尊重すること。


コミュニケーションは認め合うこと


自分の意志を他人に理解してもらおうだなんて基本的には無理なことだし、お互いに妥協して共通点を探すものでもない。

チームには数十人の選手が所属している。そのチームの舵を取る監督には、寛大な愛が求められるだろう。