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2013年3月20日水曜日

怒っているのかいないのか。当初は判断できなかった感情をのせたコミュニケーション

スペインの監督

怒ってるの?


監督の怒号に対して選手は特に変わりはないし、選手同士の言い合いも激しい。しかし、その後の彼らの雰囲気を見ていると怒っているようではない。

平常心とは違う。でも怒っているのとも違う。一時期僕は、彼らからこの勢いでコミュニケーションをとりに来られると腹が立ち、そのコミュニケーションを続けようとしなかったり、喧嘩のようにコミュニケーションをとる傾向にあった。

でもそこで閉ざしてはいけないことを学び、意見をぶつけ合う中で解決策を見つけたいと意識している。


主張と受容。自分。


スペインの車社会はクラクションの応酬だ。そして何か言っている。

バスの運転手が信号待ちをしているときに、窓の外の人と話し始める。話しているうちに信号は青になる。後ろの車はクラクションを鳴らし始めるが、バスの運転手はそう気にはせず話をまだしている。しかし信号が青になったことはわかっているので、話している人と「またね」の挨拶をしてバスを出発させる。

友達の車に乗っていて、気に入らない他の車や歩行者がいれば主張する。しかし相手方も自分のペースを持っているから動じない。

混雑した改札口では他人を気にしていては自分が通過できない。

信号のない横断歩道は、轢かれに行くかのように行かないと渡れない。

日本より個々の主張が激しいスペインでは、主張のレベルを上げないと生活できない。主張があれば受容も生まれる。そしてスペイン人は受容の仕方も知っているようだ。


ロッカールームのある監督の話。激しい主張は人を感動させる