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2015年2月17日火曜日

“子どもの破壊”を親のはずの「私」がしていることはないだろうか…



スペインで見かけることのある“親-監督”


もしある人が、子どものカテゴリーの試合を観るためにどんな会場にも行くなら、この人は家族であるという印象を受ける。子どもを観に行く親のグループの中には、他の人以上に際立つ人“親-監督”がいる。

この人物は、育成年代のフットボールでどんな試合も欠かすことはなく、練習も欠かさない、チームの統計を持ち寄り、試合のビデオをとり、指示を与える(特に子どもに対して、しかし他の選手に対しても同様)。

その子どもがうまい選手であり、フットボールのクラックとなるだろう自信を持っているということに注意を払えば、この振舞いはわからなくもない。

その子どもは全てうまく行う(大体いつも)、そのため親は大体が言い訳となる。
「監督はわかっていない、何もしらない、仲間たちはとても下手くそだ、なぜパスをしない…」
常に何かについて不満をもらす。その子どもはこの振舞いが苦痛である。

したがって、子どもが前進するのは難しい。

確かに嘘だと感じるかもしれないが、これは見られることである。情熱が親を盲目とし、その子どもたちを壊すことにしかならない。


選手の育成過程の尊重



幸運にも彼らの隣に、正真正銘の親もいる。移動で彼らに付いて行く、慎み深い姿勢を維持する、その子どもたちを応援する、観客席から不必要なプレッシャーを創らない…。
この姿勢とともに、子どもたちに必要な安心感やモチベーションを伝え、それと同時にスポーツや子どもを楽しむ。

子どもたちは、物事を見定めることを学ばなければならないし、スポーツにより期待を持たなければならない、彼ら自信で相手を上回る能力を持たなければならない…

これら全てにより、育成の過程を尊重しなければならない。


お父さん、監督気取りをするのはやめてくれ


もし審判や相手の選手、他の人に侮辱をしているお父さんを見たら…。

そしてそれは、子どもにも同じことをするようにそそのかしているようなものだ。
「自分の親がそれをするなら、僕もそれをすることができる」

親が監督のように指示や修正を与えれば、子どもの気が休まる場所、気の許せる場所はどこにあるのか。