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2014年9月9日火曜日

自分の信じる最善の道を選ぶ、誰の課題なのか考える




自分が自分のために人生を生きていない、プレーしていないのであれば、誰が自分のためにプレーしてくれるだろうか。
他の人の期待を満たすためにプレーするのではないだろう。他の人の期待を満たすようにプレーすることは自分のプレーを他人任せにすることであり、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続けている。

賞罰教育(アメとムチなど)の影響がある。
「良い行動をとったらほめてもらえる→ほめてくれる人がいなければ良い行動をしない。」
「良くない行動をとったら罰せられる→罰する人がいなければ良くない行動もとる」

いつも人の視線や人の評価を気にしてプレーしていれば苦しい。自分が「わたし」でいることを抑えている。

他の人の承認を求めているということは、「理想の自分」を求めていないということ。
自分の信じる最善の道を選ぶ、そのためには誰の課題なのかを常に考える。
土足で、他者の課題に踏み込まず自分の課題に踏み込まれないようにして、対人関係のトラブルを引き起こさないようにする。

信じるという行為もまた、「課題の分離」
相手のことを信じること、これは自分の課題。しかし、自分の期待や信頼に相手がどう動くかは、相手の課題。
その線引きをしないと「介入」になってしまう。

「困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難をさけようとするだろう」